「腕、つかまれた。 怖かった。痛かった。熊木先生が桜木さんを諭してくれてすぐ放してもらった。」それだけだよ。
「お兄さんが一人で行くなといった理由が分かった。ありがとう。」
「そっか。怖い思いをさせてごめん。なんとなく、嫌な予感がしていたんだ。」
「えっ?いつから」
「初めて、桜木さんの奥さんが来た時から。」
「えー。なんで。」
「生活が困窮しているように思えた。余命半年の旦那さん、延命治療はしてなさそうなのに病院へ入っているでしょ?」
「家で、寝ているだけでいいのなら、入院しなくてもいいのでは?」
「あー」
「なのに、入院しているという。面会に行ったら、一人部屋だった。通常6人部屋でしょう。」
「何か、性格上の問題があるのだと思った。勝手な想像だけど、奥さんは、暴力振るわれていたかもしれない。お子さんの話ほとんど出てこなかったでしょ。話したくなさそうだった。」
「お兄さんは、私が一人で病室に入るのを禁止した理由は、暴力振るわれると思ったから?」
「確証はなかったけど、女の人に対して、その可能性はあると思った。私には、始終穏やかで問題なかったけど。」
「お兄さんに助けられた。ありがとう。」
「僕が言わなくても、たぶん病院がわで注意はしてくれていたと思うけどね。ラッキーだったのは、たまたま、熊木先生がいてくれたことだね。」
「なんで、その可能性を最初から話してくれなかったの?」
「憶測でしかないからねー。」
「和花は、腕をつかまれたこと、なんで隠そうとした?」
「隠そうとしたわけじゃないけど。なんだろう。思い出したくない。言いたくない。そんな気持ち。でも、なんか気分が晴れなくて。だから早く帰って寝れば治るかと思った」
「バカ」
「えー。ひどい。」
「今は、どういう気分?」
「あー。不思議。気が晴れたみたい。怖かったけど、話してすっきりした。」
「これからも、隠さず報告して。」
「はーい。じゃ帰るね。」
「はい。お疲れさま」
事務所を出ると、冷たい風が吹き抜けた。わー寒い。コートの襟をぐっと抑える。
春が待ち遠しいなあ。
つづく