「はい。娘が1人おります。」
「名義を変更したい不動産は、自宅の土地と建物ですか?」
「はい。主人と住んでいた家で、今は、私一人で住んでいます。」
「娘さんは、すでに嫁いでいるのですかね。今中山さんが住んでいる家を中山さんつまり娘さんからすればお母さん名義にするということですが、ご納得いただけそうですか?」
「はい。娘も了解しております。」
「そうであれば、手続きもスムーズに進むと思います。まず、最初にしなければならないのは…」
「主人の戸籍を集めることでしょ?」
「えっよくご存じですね。」
「はい。昔、自分の父の相続のときにとても大変な思いをしたんです。ですから、夫の相続では、そんな苦労はしたくないと思って夫の亡くなる前までに、すべて事前準備しました。」
(えっ、事前準備?亡くなること分かってた?)「こんなことを聞いて良いのかわからないのですが、旦那さんは、どうしてお亡くなりになったのですか?」
「ガンです。10年以上患っていました。でも、元気でいたので、寝込んだのは、最後の数か月です。」
なんでこんなことを聞いてしまったんだろう。聞かなきゃよかったと思う。言葉が見つからない。
「最期の数か月、初めてあんなに朝から晩まで一緒に過ごしました。お互い、仕事をしていて、生活がバラバラでしたので。なんか新婚さんみたいだねって、二人で話してたんですよ。あんなに一緒に過ごしたのは、結婚以来初めてじゃないかしら」
私は、黙って聞いていた。
「最期は、みんな揃っている中、孫が主人の頭の上でチョロチョロして、少し騒がしいくらいでしたが、そんな中、すーと眠るように逝きました」
「先ほど、事前準備をしていたと言ったでしょ?こんな時代だし、家族葬と決めていたの。手作りの家族葬にしたいと思っていたから、主人の遺体にお化粧したり、服を着せたり、全部家族でやったのよ。」
「靴下はね、幼い孫が主人の足にはかせてくれました。まだ、意味がわかってなかったかもでしょうけどね。主人は、きっと幸せな中、逝けたと思っているし、私もしてあげられる精一杯をしたから、悲しいよりも満足の方が大きいの。」
「おかしいでしょ。ふつうは、夫を亡くして1年くらいじゃみんな、こんなに元気でいられないのに。」
「素敵な最期で旦那さんは、天国に旅立てたのですね。」やっと言葉が出た。涙が止まらない。素敵なご夫婦だ。たいてい、人を失ったあと、相続登記をするのは、中山さんのように、後回しになる。人が亡くなった後、相続登記をするより先にしなければならない手続きは、多いのだ。
つづく