11月初旬、遅咲きの金木犀がほのかに漂っている。
事務所は、シーンと静まり帰り、パソコンを叩く音が響いていた。その静寂を破るようにけたたましく電話がなった。いつものように、事務所スタッフが電話をとり、兄へ繋ぐ。
まだ、新米の私宛に電話がくることはほとんどない。
「和花、渡辺さんからの電話で、渡辺さんのお客さんの相談にのってほしいって。
抵当権抹消の件らしい。通常の抹消だろうから先方に電話して、念のため内容の概要と、打ち合わせ日時セッティングして。 はい。これ。」
電話メモを渡される。メモには、園田さん、TEL:××―○○―△△、抵当権抹消 と書かれていていた。
渡辺さんは、税理士の上条先生のところで見習いをしていて、とても気のいい青年だ。
早速、メモに記載された番号に電話する。
「司法書士の神咲と申します。渡辺さんのご紹介で、抵当権抹消の件でお電話いたしました」
「渡辺さんからお電話があると聞いておりました。ありがとうございます。」
声の感じからすると、80歳くらいかな。女の方だ。
「抵当権抹消ということですが、ローンの返済が終わりましたか? だとすると、銀行から書類を受け取ったものと思いますが」
「えー。そうねー。だいぶ昔になるのだけど、もう30年以上前かしら。銀行のローンの返済が終わったのは。ただ、亡くなった主人、抵当権抹消の登記をしてなかったのね。主人が亡くなって、色々整理して気が付いたの。」
「30年以上前ですか。当時の銀行からもらった書類などありますか?」
「あーこれかしらねー。わからないわ」
「そうですよね。あの、抵当権がついている物件はお分かりですか」
「はい。それは、今住んでいる土地と建物です。」
「それじゃー、打ち合わせする日に、念のため土地、建物の権利証や銀行から受け取った書類があれば持ってきてもらえませんか?こちらで確認させてもらいますね。」
「助かるわ。ありがとう。それじゃー、よろしくお願いいたします。」
早速、兄へ電話の報告をする。
「お兄さん!全然通常じゃなかったよ」
「園田さん、なんて言っていた?」
「30年以上前にローン返済済み。とにかく書類一式持ってきてもらえるように頼んだ。当時の銀行は、もうないかもしれないだろうから。休眠担保の規定による抵当権抹消になるかもしれないね」
それから一週間後のお昼過ぎ
ドアがノックする音が聞こえた。来たみたいだ
園田さんが応接室に通され、兄と私もすぐに応接室へ。
「先日、お電話でお話させていただいた神咲です」名刺を渡しながら挨拶をする。
「この前は、ありがとうね。書類をもってきましたよ。」
早速、兄が書類に目を通す。銀行からの書類、当時の謄本も入っていた。
兄は、謄本や書類を読むのが恐ろしく早い。あっという間に、必要なものとそうでないものを仕分け、
仕分けながら状況を確認する。
私が、その域にいくのは、あと何年先だろう。
「和花。取り急ぎ、この物件の現在の謄本が知りたい。謄本とってきて。」
「はい」
すぐに、私は、ネット謄本を取得し応接室へもっていく。
「あのー抵当権抹消できるでしょうか」と園田さんは、心配そうに兄へ尋ねる。
「大丈夫ですよ。確かに、この書類を発行してくれた銀行はもうありません。多少お時間いただくことになりますが、必ず抹消できるようお手伝いしますから」
「ありがとうございます。」園田さん、兄の言葉を聞いてほっとしたように笑みを浮かべていた。
一通り、書類のチェックをすると、兄はゆっくり、園田さんへ質問をはじめた。
「現在、抵当権のついている土地・建物が園田豊さんの名義になっておりますが、豊さんというのは、ご主人のお名前ですか?
「はい。主人の名前です。」
「ぶしつけな質問で恐縮ですが、豊さんは、いつ頃お亡くなりになりましたか?」
「はい。10年ほど前です。主人が亡くなってから、私は、長いことふさぎ込んでおりまして、ようやく主人の死を受け入れることができて、整理を始めたところなんです。」
「そうでしたか。大変でしたね。お子さんは、いらっしゃるのですか?」
「はい。娘が2人おります。」
「今回、抵当権抹消する前提として、豊さんの名義を変更(相続による所有権移転登記)して、それから抹消登記を申請した方がよいかと思います。」
「そうですか。先生のおっしゃるようにお願いいたします。」
「現在、豊さん名義の土地と建物は、誰が住んでいるのですか?」
「はい。私一人で住んでおります。娘たち2人は、嫁いでいます。」
「豊さん名義の土地・建物につきましては、豊さんの法定相続人である、奥さんと娘さんお2人の3人で相談して、誰の名義にするかを話し合っていただきたいと思います。」
「あのー3人の名義にすることはできないんですか。」
「もちろん、法定相続分の割合での共有名義、もしくは、3人で協議した割合での共有名義いずれもできます。
しかし、共有名義にすることは、あまりお勧めできません。今後、万が一売却することになった場合、全員の承諾や印鑑証明書などが必要で、手続きがスムーズに進まない可能性が生じるからです。もし、もめないようであれば、3人のうちの誰の名義にするか、話し合ってもらいたいと思います。
「分かりました。」
「お決まりになったらご連絡ください。また、今日拝見させていただいた書類は、預かり証をお渡ししますので、一式預からせてもらってかまいませんか?」
「もちろんです。どうかよろしくお願いいたします。」
預り証をお渡しし、園田さんは、ご帰宅された。
つづく